バルト3国を走ってみて
バルト3国を走り終わり、振り返ってみますと。
本当に平原でした。そして、人口密度が低い。
3国の中では、エストニアは通貨がユーロであることもあり、
経済的に発展中で、現代的な街並みで比較的豊かだとの印象を持ちましたが。
ラトビアとリトアニアはそこまでではないように見えます。
リトアニアに入ってから、ポーランドにかけて、
よくピンクの芍薬を見かけるようになりました。家の庭に咲いています。
リトアニアは外交官の杉浦千畝氏が第二次世界大戦の時、
「命のビザ」を発行していたことで、いまだに現地で感謝されているようです。
ドルスキニンカイのホテルで、彼の名前の入った店舗を見かけました。
バルト3国は、1991年までソビエト連邦の統治下にありました。
運転手のMさんから、1989年のデモ活動「人間の鎖」の事を
教えていただきました。
当時、およそ200万人が手をつなぎ、リトアニアからエストニアまで。
はるばる600キロ以上の人間の鎖をつくったのだそうです。
私たちが通ったルートがちょうどその長さにあたります。
自転車で5日程度かかった道ですから、何とも力強い独立運動です。
リトアニアのヴィリニュスで観光した大聖堂は、そのデモの一環で
数千人の集会が開かれていたのだそうです。
ある方から「神様はバラエティを愛する」のだと、教えてもらいました。
国が民族ごとに独立していることに良し悪しはあるでしょう。
自転車でたくさんの国を通過すると、そのスピードならではの
色んなことが見えてきます。
=ジャスミン=
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 梅雨の晴れ間(2020.07.20)
- 横浜・日本大通り(2017.05.27)
- くじらのせなか(2017.04.30)
- 金沢に帰省(2016年12月)(2017.01.09)
- ゴールデンウィーク初日(2016.04.29)
コメント