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2013年6月10日 (月)

バルト3国を走ってみて

バルト3国を走り終わり、振り返ってみますと。

本当に平原でした。そして、人口密度が低い。


3国の中では、エストニアは通貨がユーロであることもあり、

経済的に発展中で、現代的な街並みで比較的豊かだとの印象を持ちましたが。

ラトビアとリトアニアはそこまでではないように見えます。

Photo_10

リトアニアに入ってから、ポーランドにかけて、

よくピンクの芍薬を見かけるようになりました。家の庭に咲いています。


リトアニアは外交官の杉浦千畝氏が第二次世界大戦の時、

「命のビザ」を発行していたことで、いまだに現地で感謝されているようです。

ドルスキニンカイのホテルで、彼の名前の入った店舗を見かけました。


バルト3国は、1991年までソビエト連邦の統治下にありました。

運転手のMさんから、1989年のデモ活動「人間の鎖」の事を

教えていただきました。


当時、およそ200万人が手をつなぎ、リトアニアからエストニアまで。

はるばる600キロ以上の人間の鎖をつくったのだそうです。

私たちが通ったルートがちょうどその長さにあたります。

自転車で5日程度かかった道ですから、何とも力強い独立運動です。


リトアニアのヴィリニュスで観光した大聖堂は、そのデモの一環で

数千人の集会が開かれていたのだそうです。


ある方から「神様はバラエティを愛する」のだと、教えてもらいました。

国が民族ごとに独立していることに良し悪しはあるでしょう。

自転車でたくさんの国を通過すると、そのスピードならではの

色んなことが見えてきます。

=ジャスミン=

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